姉なかの病気は祟りが原因か!修験者をぎゃふんといわせた渋沢栄一

渋沢栄一が15歳のとき、姉なかの縁談が破談となる出来事がありました。

なかは気落ちして精神的な病に罹ると、迷信深い伯母のまさ(渋沢宗助の妻)がなかの病は東の家(ひがしんち)の祟りが原因だと騒ぎます。

栄一と父市郎右衛門(いちろうえもん)は祟りなど信じなかったので、上野の室田でなかを療養させることにしました。

父が留守の間にまさが修験者を連れてきて祈祷を始めると、修験者は「なかの病は無縁仏の祟りが原因であり、祠(ほこら)を建てて祀りなさい」と告げます。

栄一は「無縁仏は何年前のことでしょうか」と修験者にたずねると「50~60年前」だと返答しました。

さらに栄一は「50~60年前の年号は」と問いただすと修験者は「天保3年の頃」だと答えたのです。

「天保3年は今から23年前であり、神様が年号を間違えるはずがない。その程度の神さまであれば取るに足らない」と栄一は一刀両断したのです。

ばつが悪くなった修験者は「野狐のしわざだろう」と言い訳しますが、「野狐なら祠を建てて祀る必要はない」との結論になり修験者は退散しました。